6つの音色

彼らの音楽が大好きだ

京ジェの音楽性~相対するメインボーカル~

こんにちは。

まずはジェシー、26歳のお誕生日おめでとう!!

 

誕生日のブログはどの曲の歌割り考察しようか考えたんですが、私の中で今コンビが熱い!ということで京ジェの音楽性について語りたいな~と思った次第です。これまでのブログでも何度か書いたような気もしますが、本人たちもインタビュー等で話している通り、京ジェの歌声って似てないんですよね。声以外にも対極にいるな~と思うことは多々あって。今回はそんな京ジェの音楽性に着目してブログを書きたいと思います。

先にお断りしておきますが、歌に関しては本当にド素人です。歌に対する専門的な知識のない人間が感じたことを勝手に分類(?)してるだけですので、ご了承ください。なお、それっぽい話が出てきますが、専門用語ではなくほぼ私の個人的な呼び方です。

 

今回書きたいと思っているのは、
1. 声の質と飛び方
2. 音のとり方
3. 個性
の3つ。

 

ではさっそくですが、まず1つ目のポイント、声の質と飛び方。なお、声の飛び方というのは、音の広がり方、伝わり方のことです。

声の質については、SixTONESの歌声ってざっくりクリア(透明感ある澄んだ声)組とマット(ざらつきを感じる声)組に分かれると思っています。京ジェで言えばきょもはクリアジェシーはマット。(ちなみに、残り4人はほくしんがクリア、ゆごじゅりがマット。厳密に言うと同じマット組でもゆごじぇと樹で違うと思うんですが、今回は京ジェの話なので割愛します)。澄んだ水やガラスのようにクリアに響くきょもの歌声に比べて、ジェシーの声は木や土、紙のようにざらざらしているイメージです。

で、もう一つの音の飛び方で言うと、きょもは前方に向かって直線的に声が飛ぶ印象(ビブラートうんぬんの話ではなく)。楽器でイメージすると、トランペットやトロンボーン吹奏楽やオーケストラを見てもらうとわかるのですが、この2つの楽器だけ、聴衆の方にベル(音の出口。円錐型に広がってるところ)を向けてるんですよね(他の楽器は下やら上やら後ろやら向いてる。そもそもベル何処やねんって楽器もある)。で、音が真っ直ぐこちらへ飛んできます。楽器以外で言うなら、矢のイメージが近いかな。射られた矢が聴衆の耳(胸)へ突き刺さるような。だからきょもの歌声は強さや前向きさを感じるんじゃないかな、と思っています。

一方のジェシーはというと、空間全体に音が広がるイメージ。楽器で言うとヴァイオリンやチェロなどの弦楽器でしょうか(弦楽器は弾いた弦の振動がボディ=本体内部で共鳴して音が広がります※もっと詳しいことはググってください)。楽器以外なら、エアコンやストーブみたいな感じかな(他にもっといいイメージがあると思うんだが、思いつかなかった…)。直接でなく、空間全体に広がるような。だからこそジェシーの歌声からは包容感を感じます。

 

 

次に音の取り方。

私はジェシー相対音感きょもは絶対音感な音の取り方をしてると感じています。ちなみに、この○○音感的、というのは○○音感がある・ないという話ではありません。相対音感的、というのは言い換えれば自分の外の音を基準として音を取る(=歌う)ことであり、絶対音感的とは自分の中に音の高さの基準を持ち、それに合わせて歌う、ということです(どちらも私の造語です。あくまで京ジェの違いを私はこうやって考察しているよーということです)。

相対音感的なジェシーは、伴奏とか他の人の声など、聞こえている音に合わせて自分が出す音程を把握している印象。ある音が鳴っていて、それに対する距離感で次に出すべき音を掴み取っているイメージです。なので即興でテキトーに歌っても(本人的にはテキトーではないかもしれんが)前後の流れに違和感を感じることがなく、こちらは素敵なアドリブ!!!と感じます。違和感どころか、元から存在していたかのように感じますよね。先日のトークイーンズでのフワちゃんのギャグ「ドレミフワちゃんです」がまさにこれ絶対音感ある人間からすると、ドはピアノのドじゃなかったけど、音階(スケール)としてはそんなに違和感なかった)

一方のきょもは、自分の中に音程の明確な軸を持ち、ピンポイントで狙った音程を出すイメージ。これを私は絶対音感的な音の取り方、と呼んでいます。以前、関ジャムでヒャダインさん(だったかな?)が、Imitation Rainの転調(=かなり音を取りずらい転調)にもかかわらず間違いなく飛べるのは、喉で音程を覚えているのでは(めっちゃニュアンスです)、という話をされていて、まさに絶対音感的だな、と。あのImitation Rainのぶっとび転調とか、Special OrderのNobody~のいきなりの超高音をしっかり当ててくるあたり、凄いですよね(今さらですが、しっかり音程外さずに音を出すことを”当てる”と言います。ダーツとかで狙った的に当てるのと同じですね)。

繰り返しになりますが、あくまで音の取り方の傾向なので、どちらが○○音感を持っている、という話ではないです。(たぶん二人とも相対音感はあると思う、特にジェシー相対音感がかなり強いと思います。)ちなみに、樹は相対音感的、北斗は絶対音感的かなーと思ってます。ゆごしんはわからん。

もっと言うと、ジェシーは音の取り方が連綿的というか、全てつながっているイメージで、きょもはここの音はこの高さ、こっちはこの高さ、と個別に把握しているイメージです。

 

3つ目は、個性について。

きょもの歌声って、京本大我”という個性が強烈。まさに主役。何を歌っても京本大我。もちろん曲に合わせて歌声や歌い方を変えていて、それは聴衆も感じますが、それは京本大我が○○を演じている、表現しているように捉えることが多いのではないでしょうか。今回の7thシングルでも曲によってかなり歌声を変えてきています(わたしとシアターだけでも相当違って鳥肌モノ。というかシアターほんと凄い)が、聴いた瞬間にきょもだ!と感じました。本人も何かのインタビューでそれに近いことを話していたと記憶しています。演じている、というよりはきょもの感情や心の叫び、想いが形になっているのがきょもの歌で、あくまで主体は京本大我であり、歌はその代弁手段。

一方のジェシーは、曲によって全く違った印象を与えます(Twitterかな?で何回聞いても他の曲と「うやむや」のジェシーが同一人物に聞こえない、みたいな話を読んでなるほどな、と思った)。言わばカメレオン。きょもの歌の主体がきょも自身であるなら、ジェシーは歌が主体。それぞれ異なる歌や音楽がジェシーという媒体を通して形になった、つまり主役は歌そのものであり、ジェシーは媒介者。

これ、スケートで言えば前者が浅田真央ちゃんであり、後者が金妍児選手(突然のスケオタ人格)。演技の世界で言えば、前者がキムタクであり松潤であり、後者が菅田将暉中村倫也だと思ってます。

この傾向はダンスにも言えるんじゃないかな。以前のブログでSixTONESのリズムの取り方(扱い方)のイメージは↓と書いたのですが、音(歌)もこれに近いイメージです。
ジェシー→自分(ジェシー)の中からリズムも音も湧き出してる
きょも →(自分を魅せるために)リズムを活用している
北斗  →リズムを狙い撃ちしてる
こーち →リズムに合わせて踊ってる
慎太郎 →全身リズムに漬かってる(同化してる)
樹   →リズムを侍らせ、あしらってる

 

さて、話を京ジェに戻しまして、他にもこの2人の違いはあると思うのですが、簡単に2人の違いをまとめると、
ジェシーは天才的・感覚的、カメレオン
きょもは努力・技術・理性的、圧倒的存在感
だと思います。

何より凄いのは、SixTONESというグループは、これだけ資質も個性も違う2人をメインボーカルに据えて、きとんと音楽として成立させている(≒調和させている)ということ。それには2人の積み重ねた努力と、間をつなぐ4人の歌声の力によるものだと思っています。この2人の声が調和しないと聞いていられないことになりますが、きょもとジェシーのハーモニーはちゃんと美しい。だからこそ2人の音楽性の違いはむしろ武器だと思っています。

だって、どっちにだって寄せられるから。

曲によってどちらをより強く押し出すか(≒メインに据えるか)だけでも、曲の雰囲気を変えることができます。また違うからこそ、ぶつかり合いにならなくて良いのかもしれません。全然似てないからこそ、それぞれ必要なタイミングでさっと前に出れる。

ただ歌唱力の高い2人がいることだけでなく、全く異なる個性の2人がメインボーカルとして並び立っていること、それがSixTONESの音楽の強みの一つだと思います。

 

さて、今回は京ジェの音楽性について語ってきました。続く樹と北斗の誕生日にはSixTONES6人の歌声分析なんかしたいなーと思います!(間に合うのか自分…)

進化し続けるSixTONESの「6つの音色」、これからも目(耳)が離せませんね!

26歳のジェシーに幸あれ!